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はじめに…

 私は岐阜県の出身で妻は徳島県の出身です。私は岐阜の高校を出た後は、大阪の辻調理師専門学校へ行き、卒業後は神戸にあるフランス料理店の北野クラブ、その後は堺市の今は無い洋菓子店ボンシェール、その後、東京へ行って新宿中村屋へ就職して、その後は中村屋からの新規事業部でこれも今は無いですが、二子玉川にあったスーラスール。その後に北海道の新得町のクラブメッドサホロ、そこからなぜか、ほんのわずかな期間ですが、ここも今は無いと思いますが弁当の宅配のKAKIEMON。その後、またこれも今は無いですね、ハワイのレストランのロイズレストランで働いて。その後に妻の実家の東洋パイピングってパイプとかの曲げをやる会社で働いて、また東京のロイズレストランへもどって、その後は、これもまた不思議に思うかもしれませんが、4th Dimensionってリレーショナルデータベースのフォーディージャパンって会社で働き、その後世田谷の三宿にあるラテール洋菓子店へ行き、その後はそのラテール洋菓子店の親会社のミックブレインセンターで働いて、そして…。

2001年5月、私が36才の時に頑張って貯めた自己資金の七百万円を手に富良野に移住して、その自己資金の700万円で菓子工房フラノデリスをオープンしました。私は、たくさんの会社を文字どうり点々としました、でも独立する時にはその点と点が線となったんように思います。自分自身をしっかり思い、自分の未来を信じる事だと思います。点と点が繋がる事で、今まで働いた時の事が全て浮き上がってきました。あの時は無意味に思えた事も全て意味がある、この世に意味のない行動は無いんだと思います。そしてたくさんの友人や師匠に支えられました。そして今があります。

 また、なぜ北海道なの?ってよく聞かれますが… 。私はその時は、いつも北北海道の乳製品ってだけで美味しそうってイメージがあって、その美味しそうな乳製品がある場所でお店を出してそこから全国へお届けできるんではないかと考えたからです。それでなぜ富良野かと言うと、富良野が真ん中にあったからです。 と答えていますが、実を言うとそれだけではなくて、以前に新得町の「クラブメッドサホロ」で働いていた時の北海道のイメージやその頃の友人たちの思い出やイメージが強くて、いつか北海道でお店へ行ってお店を出そうと言うのが最初の切っ掛けでした。

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